昭和45年8月16日 朝の御理解

御理解第61節「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな」


 「真の道をふんでゆくことも、人へ真の道を伝えてゆくことも、神様へのお礼ぞ」と仰る。神様へお礼を申し上げることも、「これが神になるのぞ」と仰る。「これが神になるのぞ」と、というほどしのことも、結局は、一番初めのところに「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話しにしておくのぞ」と仰いますから、尽きぬおかげの頂けれる話を頂いて、それをやはり自分のものにして、尽きぬおかげの頂けれる世界を、まあ顕現していくということです、ね。
 最後んところを、もういつもんこと、最後んところを、えー、神になるとか、神へのお礼とか、これが真の道を踏んでいくのとか、ということをね、ことも、ここんところを分からしてもらわなければいけないということ、分かるでしょう。「神より金光大神にいつまでも尽きぬおかげを話しにしておく」これ一番に言っておられます。
  ですから金光大神に天地の親神様が、ね、氏子が幸せになっていくことのための、言うならば、お話をまあ場合には、修行のあり方とか、または、おかげを頂く、言うならコツは今でも、いろいろに、えー、教えて下さる。それをここでは、まあ噛んで含めるように、教えて下さるわけですね、尚また。そうですね。
 ですから、ここのところがどのようなふうになっておるのか、自分の信心、いや、確かめてみませんと、いけん、信心をね。ここ、一両一途私が幾ぞ神様から頂いたことです。ね。「神より金光大神にいつまでも尽きぬおかげ」とこう言うておられる。ね、尽きぬおかげを頂く、うー、ははあ、こういう生き方になれば頂けれるんだなあ、こういう、ああ、ちょっとしたことだけれども、微妙なもんだなあ、実に信心はデリケートなもんだなあというようなことを私が、ここ一行ずつ、私が実感したことです、ね。ですから、それを聞いて頂いて、また、皆さんもなるほどとこう合点して頂きたいと思うんです。
 まあ今日、おー、御祈念中に頂いたことをまあ一番に申しますとね、私共が若い時に流行りました歌でね、あの、「色は黒いが南洋じゃ美人」という流行りましたよね。何というたでしょうか、「色は黒いが南洋じゃ美人」。あの歌の、こうリズムというかね、ものを、とこを頂くんですよ。あれはどういうことだろうかと、私は私なりにちょっとひねってみたんです。
 えー、なるほど、おー、南洋じゃ色が黒いのが美人でしょうね、黒いの、それこそ、おー、青白いとか、色の白いというものは、やっぱ、かえって奇異に感じるでしょうね、もしあるとするなら。やっぱり、私もこの頃、あの万博に行ってからもう色の黒い、その、人種の方達をもう幾通りも、まあ見せてもらい、会わせて頂いたんですけども、本当に黒いというのは、私初めて見たが、黒光りしてるですね。黒い色に何かね、光るものを塗っておられるようですね。
 ほらもう、その衣装はもう見事な衣装ですよね。はあ、色はもうあくまで黒い。もう真っ黒、しかもそれに光まで。私はまあ大体、茶褐色的な、あー、人は、もう黒人というても、それからピンからキリまであることです。まあだから、ああいうのがな南洋で、いわゆるまあ南の方に住んでおられる方では、まあ、その、品が良いのであったり、まあ美人であったりするんだろうと思うんですね。
 そこからね、私が感じたことは、まあ苦労ということは、苦労、もじったら苦労するといおうね、歌の文句にもありますように、「白鷺見たような、(ぬし?)持ちながら、カラス見たような苦労をする」とこう言う、ね。苦労する、カラスが真っ黒しておるの苦労する。苦労するということにもじってあるわけです。ですから、南方では黒いのが美人だということを、まあ私は苦労を修行と、今日はここで感じたんです。
 だから、言うならばですね、ここではと申しましょうかね、「金光教」ではと言うた方がいいかもしれませんが、まあ合楽ではね、言わば、苦労の多い人ほど、素晴らしいんだということです。ね。皆さんが苦労と言うと嫌がるけれどもですね、えー、言うならば修行の大きい人ほど素晴らしいんだということにもなりましょう。ね。苦労をここではひとつ修行と頂かにゃいけません。
 これはまあ私、二十何年前のことを申しましても、終戦、それから私共の途端の、言わば修行、いわゆる苦しい苦労であります。もう全ての上に、いー、苦労させて頂きましたがです、ね、その苦労のおかげで、今日の合楽があると言うてもいいのです。もし、あの苦労がなかったら、今日の私はないです。昔からよく申しましたですね、(かんなんなんじょをたまにする?)と。
 正しくそうです。ですから、その苦労を苦労としたんでは、つまりませんからね。苦労、悩み、ね、言うならその悩みのおかげで、いよいよ神様に接近することができるんだというわけなんです。確かにそうです。ある時に、大変、まあ難儀な問題でお参りされて、熱心に信心しておられる。けれども、あんまり、その、信心しておってどうしてと思うような、次々難儀なことが起きてくるわけですよね。
 ですから、信心しよるから苦労が多いというのではない。苦労そのものは、やはり、銘々が持っておるものなんだ。ね。ですが、あの、ちょうど冬のことでしたが、ちょうど私の茶布巾を洗ってきたばっかりのですね、のが、もう火鉢の淵に置いてあった。神様がそれをとってね、あの、炭火の上にこうやって持っていってみよ、ということを頂いたから、どういうことか分からんけれども、私、うーん、その濡れた布巾をね、炭火の上にこう持って行ってみて、ぽっと悟らして頂いたことは、ははあ、もしこれが、乾ききっておる布巾であったら、ぼっともう燃え上がってしまうだろうと。まあ、炭火というものが神様ならです、神様の側には苦労なしには寄られんということです、本当は。
 言わば、神様に、ね、ここに最後に言ってある、「神になるのぞ」と仰る。私共の信心は、もうどこまでも生神への道だと言われたり、生神様になる稽古だと言われとりますね。金光大神、この方のことを神、神と皆が言うけれども、この方ばかりが神ではない。ここに参って来る、氏子の全て、皆が神じゃと。ね。「生神とはここに神が生まれるということであって」と仰せられますように、お互いが生神としての、まあその、素質というか、内容を頂いておる。なら、その、内容がです、どういうことによって、磨きだされてくるかというと、修行なのだ。ね。
 いわゆる、その自覚に立って、修行、だから、んなら苦労をしておる人がこれは苦労ではない、これは神様の愛情の表れだと頂く。一切神愛だと。ね。神様が、私に、これはもうどげなおかげを下さろうとしておるか分からん、どういう徳を下されてしよるか分からん。もう難儀の骨頂の時に私はそれを感じましたね。もう難儀のもういっぱいひどい時に私はそれを感じた。感じたら元気が出た。
 涙がこぼれるほどにそのことが有り難かった。人間の心ってね、本当のことが分かった時に、それこそ心の中に感動が湧いてくる、喜びが湧いてくる。私ばかりどうしてこんな苦労せにゃならんだろうか、金光様の信心もまあ人に負けんくらいに信心させてもらっておるのに、どうしてこのような難儀が続くだろうかと、という例えば、思いからですね、うん、こういう苦労、こういう修行を次々と求め給う神様の心の内というものがね、これは大坪総一郎でなからなければできんような大変なことがあるんだなと、私に懸けられる神の願いは大きいなと、それがそう分からしてもらった時にね、私は感動した。元気が出た。
 有り難涙に暮れさして頂いた。ね。私はそこんところが、私は、んー、下がった、今日、私が頂いた、ね、「色が黒いが南洋じゃ美人」、色、ね、修行はもう誰よりも、大変な修行さして頂いておるけれども、まあ合楽じゃ一番の、まあ下の座にある人達だということなんです。ね。そこで、結局、うー、求められる修行、また、自らがさして頂く修行、そこには、その、苦労、修行のことがいろいろとありますよね。うーん、そのタイプが違いますね。この人の修行、この人の修行、一人ひとりに違います。
 神様はその人の、おー、やはり、性というかね、根(こん)に応じて、修行を求め給います。ね。根に応じて、その人の性根に応じて、神様はその人なりに修行を求め給うわけであります。
 先日、うー、昨日の晩でした。熊谷さんがお参りされましてね、まああの、朝晩して参られますでしょう。で、夜の御祈念に参って来て、こういうお届けをされるんですよ。先生、今日はもう子供達が、もう期せずして、いろんなものを、まあお盆でもありますから、もったいない、こういう着物、こういう帯、こういう物をと、もう娘さん方がもうそれこそ、大変幸せなおかげを頂いておられます。
 ね、大学の教授とか、お医者さんの奥さんとか、といったような、もう本当に、言うならば幸せなおかげを頂いておられる方達ばっかり。ご自分としても、もう七十幾つにもなるのに、ね、三里の、言わば道を朝晩参って来るというんですから、もちろん乗り物を利用してですけれども。もうこれこそ欠かされたことがない。どんな雨であろうが、風であろうが、よし少々頭が痛かろうが、その、これだけ、二十何年間、言わば続けておられる、合楽の始まって今日まで。
 本当に熊谷さん、よっぽど何か修行がありなさる、苦労がありなさるとじゃろう、あんたどん、お宅が何か御用人さんか何かあるとですかと言うて、ある人に聞いたというくらい。毎日毎日、その、当時椛目時代は、久大線を利用しておられましたから、草野の駅で降りて、会う人がそう言うたとこう言う。いや、別に病人もなからねば別に困ったということもないのです。
 ほう、あなた、病人もなか、困ったこともなかって、そげん参らにゃんですかっち、ね、信心とはそういうふうにしか解釈していない人が多いのですから。ね。おかげを受けておることが分かれば分かるほど、やはり、信心をいよいよ極めていく、極めていくことの楽しみが喜びが、そのような信心を続けさせたわけでしょう。ね。その熊谷さんが今日、言われるんです。
 なるほど、こと息子、現在家におられる娘さんは、まあ信心があるにしても、縁についておられる娘さん達は、もう言うなら結構なおかげを頂いておられますから、まあ神様のかの字も言われないわけです。まあ、私のこれほどしの切なる願いを神様がどうして聞いて下さらんだろうかというような、あー、思いがあるわけですね。熊谷さんとしては。本当に私を喜ばせようと思うて、さあ温泉だ、さあ旅行だと誘うてくれたり、さあ、本当に思いも、思いもかけないほどに沢山のお小遣いを持って来てくれたり。まあ、今日はそれこそ、片一方が反物を持って来てくれりゃあ、片一方が帯を持って来てくれとるというように、その、子供達からのそういう贈り物の中にあってです、もう本当に私は、有り難いけれども、淋しかったと言われる。
 この人達がね、私を本当に、喜ばせてくれるということは、どういうことかを知っておるだろうか。お母さんはもうそれこそ、金よりも反物よりも、信心してくれることを一番喜ばれることを、まあ知ってはおらんのであろうか。なるほど、これはもう、こげなもんならもうごとないという意味じゃない、有り難いけれども、もっと有り難いのは、あの人達が信心してくれ、またその孫達が信心してくれる、お母さん、お婆さんの信心を受け継いでくれるということを、私の一番の願いであり、喜びとしておることが分からんのだろうかと思うたら、悲しゅうなってきた。
 先生、本当に私の信心のために子供達がよう付いて来ません。と言うてお届けがありました。そしたらね、ほんなこつのう、熊谷さん。あんたぐらいな信心さして頂いて、えー、どうしてその子供達に対する、それがもうできんだろうかと、おー、私も思わせて頂いたらね、神様からこういうことを頂いた。「ネ」辺に「由」という字がある。ちょっとね、ようと分からん。よしこれは「袖」という字ですね。それこそ歌の文句じゃないけれども、「袖ないお方と添いたい」といったようなのがありますね、袖ないというか、袖ということは「振られる」という意味なんです。ね。
 「袖にした」という時には「振られた」という意味なんですよね。これはまあ粋人(すいじん)が、言わば使う言葉です、ね。振られたならんね、袖にされたこう言われる。言うなればね、お母さんがあんまりにも熱烈な信心をするから、むしろ子供達がです、袖にしてる。嫌ってるわけです。もうお母さんに言うとこはなかばってん、お母さん、まあ月次祭たんびぐらいでようはなかですか、もうあんたんぐらい歳とってから、まあせめて日に一遍ぐらいしちゃあどうですか、というような内容がいつもあるわけです、ちらちらとそういう話が出てくるわけです。
 先日なんかも子供が、まあそのことを懇々と、あー、学問的にそげんあんたんごと何遍でん参ったって同じことといったようなことを話してくれたというわけです。まあ黙って聞かせて頂いたとこう、本当に信心の有り難いことが分からないものです、だから仕方がない。それでもどうでも、まあ子供達に信心を伝えておきたい、それはもう切なる親の願いでありましょう。そうしたらね、神様から、私が頂いた、この「袖」という字の「由」という字の下に、ちょっと棒を引いて下さった。こういうふうに。
 神様の知恵というのはいつの場合でも恐れ入ってしまう、ね。例え、熊谷さん、心配なさいますなって、今の熱烈な今の信心がね、子供達に伝わっていかんはずは決してありませんよと。何故ってこのように素晴らしいことなんですもの。このように素晴らしい信心ですもの。これを子供達が、いわゆる開眼する次第にです、お母さんの信心がなるほど素晴らしかったということを分かる時が必ずくると。まあ一押し、もう一押しと、もうちょっとこうしたら、ね、「袖」にしとったやつが「神」になることを楽しみ信心するようになるっち。
 ですから皆さん、ここんところですね、んなら、神よりいつまでも尽きぬおかげを話しにして残しておくと言うのですから、一生懸命信心さして頂いたが、どうしておかげ頂けんじゃろうかと言うたように、または思うたりして、かい、そこにいくから信心が迷いに迷うて来たり、回れ右をした人達がそれは沢山おるんですよ。ね、そこんところをもう一押ししたら、「袖」から「神」の字になるところ。ね。
 昨日も私、これと同じようなことを、まあこれは私が頂いておった。まあ大変な台風でしたからね、もうこの辺も随分、被害がありました。ここではもう、その、昨日の晩も一睡も皆ができませんでしたけど、若い人達がまあ沢山おりましたから、間に合いましたけども、もうお広前からもうどこんもんも、雨漏りです。ほいだら(?)で、この、ここの脇殿と、おー本館の間の大きな木がね、あれが倒れるくらいだったから、大概ひどかった。
 まあしかし、神様のご都合でねもう、家にも当たらずもちょうど北の方へ、真ん北の方へこう倒れておった。私はね、あれがもうこんなにも、例えば昨日はもう、あげん綺麗にこう、あの、立ちましたからね、まあこれ、大祭前に、それこそ間に合わにゃならんが、あー、おかげを頂くようにお願いさして頂かにゃと、私はそんなことを思うておった。そしたらね、神様がちょうどその、子供が、子供に何かおやつか何か、おもちゃか何かを渡す時にですね、親がそのおもちゃを、後ろの方へ隠してね、こうして、こう後ずさりしてからね、見せびらかしといて、早よここまでおいでちゅうて、こうして、あの、手を回してから、すと子供達が二足、三足歩いてやってくるでしょう。
  その一足でも歩かせたいというような思いのね、というか、まあ言うなら(たてがい?)よるわけです、親が。そのたてがいの中のでも、一歩でもようけ歩かせたいというのが親心。やりたいのです、これはもうさっちやりたいのです、まあすぐやっちゃあ芸がないわけなんです。はいっちゅうてやったり、うんよかか、いろいろ楽しませとる。また、少しくらい苦労させてやるというところに、親の願いがある。
 とこう、何かおもちゃか何か知らんけども、後ろへこうやって持って、子供がそれで、よちよち、こう転んじゃあ起きして、そこの方へついて行くところを頂きました。あいた、これは神様がすぐ下さる腹ばいなと、私は思うた。そしたら、午後から野崎さんがやって来て、あのクレーン車を持ってですね、人間の力じゃできるこっちゃありませんから、クレーン車を持って、あれをさっそく、植えなおして下さった。ね。
 ですから、例えばそれはそれだけのおかげですけれども、お互いのおかげの場合でも同じことが言えると私は思うた。ね。神様、どうぞお願いします、ああそうかと言うて、こう、渡しなさるようなことはまずない。信心が分からない者、初めて参って来た者、これにはね、神様はやはり、験(しるし)というものを必ず下さる。ね。けども、んなら、験だけ頂いて、後をよう頂かんという人があります。
 先日も、あの、日田の綾部さんがお導きして見えられた。もうそれこそ大変な難儀な病気で、えー、入院しておられる、知り合いの方がある、奥さんが参って見えた。だから、私が、ね、お話をしたって、まあだ分からんのですから、とにかく験が見えるでしょう、験が見えたら、ね、そこでもうひとつ弾んでしっかり参っておいでって私がまあ申しましたけれどね、もうそれこそ夜もなければ昼もないほどしに、痛み続けるような病気です。
 ところが奥さんが参って見えたそのあくる日はね、全然痛まなかったっちゅうようなおかげを頂いた。ところが寝ておるその、ご主人がです、信心のことが分からん、そういう所に参ってってどうするかっちゅうふうに言って、参らしなさらんから、お供えまで用意してお礼参拝したいと思うとりますけれども、お参りができませんと言うて、まあ嘆かれたという話です。
 ようにですね、験は必ずね、これは信心があっても、そんなか、ないほど、だから私は前に、初めて参って来た方のためには、話をしません。だから、まずおかげを、まず見らにゃいかん、感じにゃいけん。と言うて、んならいつも神様がそんなにして下さることは決してない。ね、改めもさせたい、磨きもさせたい、信心の修行の有り難さも分からして頂きたい。ね。
 言うならば、今まで思うておった思いと、次元の違った思いができるようなです、今まで苦労と思うておったことを、これは神愛だと分からせて下さるほどしの、働きがその間にある、その間を、私共は修行さして頂かなければ分かることじゃない、いや、実際にその修行を踏まえてからでなからなければ、本当の信心は分からない。話だけでは分からない。ね。
 そして、そこに神様の願いという神の思いを悟らして頂かなければならん。もうこれはね、これにやりたいばっかり、もうやるごとしてごたいん、やって自分も楽しみたいのです。子供の喜ぶ顔を見たいのが、親心なんです。ね、それでもやはり、後のほうへまわしてあるということ。ね。
 だから、皆さん、ここへんのところのね、親心を分かわにゃいかんです、ね、いわゆる、親心に感泣する。私が20年前はそうでした、これはとても神様が、私に対して下さろうとしておる、私にかけておられる期待というものは、普通じゃないなと私は思うた。思うたら、そのことが感動し、それが感泣のもとになった。そういう思いが、次の信心修行はもう有り難いものとしての修行、言わば苦労が苦労でなくて、修行になっておったということ。ね。
 ちょうど、台風の晩、もう福岡まで来ておる、テレビで言うておりました。ね。私共は、起きて、言わば台風を待っておった。台風を待っておったっちゅうわけじゃないですけれどもね。あんなにひどい風とは思わなかった。だから、テレビどん見よりました。ちょうど、おー、「長谷川かずお」演ずるとこの四谷怪談があっておった。もうそれが幽霊がどんどん出て、時にあの停電、かー、またくさーあすこいっぱいに、皆出らんで、2階寝とったどもんまで起きてから見よりました。
 それでまたもう、この広いところに、まあ明かりを一応点けんならんもんですから、もう誰でんその、んー、行こうとしません。だから、私が提灯が、あの、おー、霊前の、霊さんの、あの、お遺骨なんか置いてあるところに、提灯が入っておることを知っとりますからね、あそこに提灯ば早よ出しておいでっちゅうたら、誰でん取りに行かんです(笑)。もうえーすかえーすか、きゃーきゃー言うてからその(えーず?)がりますもん。それから、それで、あの、末永さん、ほんなあんた、末永さんは、ぱっとね、すぐ取りに行って、あんまり戻って来んけん、ああまた、末永さんも、これ(えずらっとく?)じゃなかじゃろうかと思うちから、また、自分で行ってみました。
 したら、もう、あのちゃんと出しとりました。そういうふうに、その、まあ幽霊っちゅうものは、好かんもんですけれども、私はおかげでだんだんね、おかげを頂いて、その幽霊に遭うたことがありますけれども、おかげで恐くはありません。ね。これはもう本当にですね、私はもう、本当、私は今朝からね、それをそういう、そういう感じにちょっとあった。出たんです。
 というのはね、いつも私が、3時半に起きて、着物を着るでしょう。家内がこうやって、あの、私の着物を、奉仕着を着せて頂く、うー、ね、その、手伝いをしてくれておりました。そしたらそれこそ、音もなく、襖が開かったんですよ。はっと、思うた。そしたら、久富繁雄さんが見えておられました。もうそれこそ、(つくねん?)とした顔、黙った顔。そして、黙って家内から袴を受け取って、私に袴をはかせました。黙って帯をして下さる、黙ってハンカチを出して、黙って襖を開けて、ずっとこうしておられるだけなんです。
 私はね、その、あれからここまで来る間、はあ、今んとは、重雄さんじゃあったじゃろうかと思うくらいでした。そして、控えにおって、夕べ、あの、大坪さんが、あの、ないと言うてから、今度は網のところを、風がですね、西の方から吹いて来た風で、大きな、大きなおれ屋根のお家なんです。で、西の方から、ぼーんと風が入って、ここげんやってね、東の方の屋根を、また、穴をほがして、いわゆる、天井づたいにね、その上を風が抜けたと言うんです。まあ、大変なやっぱ、風だったんですね。
 そりゃあ、まあ言うならば、信心しよって、オレんとこだけどうしてこのようなことがと言いたいようなことでもあろうかと思うた。ね、けれども、まあ、私が、大体朝起きてから、決してものを言わないことにしてるんです。一番第一声は神様へと私が思うとりますから、もう誰と会うたっちゃ絶対黙って、ならそのところを知っておられますから、まあ黙って袴をはかして下さり、黙って足袋を履かしてもい、黙って帯をしてもらうわけなんです。黙って送り出してもらう。
 ちょうど、幽霊が奉仕しとるような感じなんです、ね、しかも、まあ心なしか何とうなしに、(つくねん?)とした顔なんです。で、私がここに控えてからね、考えながらですね、そういう言うなら大難になっておられる、まあこの台風の被害を受けておられる。それでもう、もし、重雄さんが幽霊にならっしゃらんならんように、もし、命あっての物だねだと。ね。
 命あってこそ、これができておるんだから、これは有り難い、お礼を申し上げなければならないことだなと、何遍もその命に、生命を、その、さらされるようなことに何遍もなっておられます。その都度都度におかげを受けておられる。もう本当に命あってのことなのだ。もう、最高のおかげを受けておるんだ、このくらいなことは問題じゃないというほどしのです、ことにならせられたら、有り難いことだなと、まあ思うたわけでございますけれどもね。
 お互いがね、思いをかねるということ。ね、言うなら、おかげを下さるでも、一応はです、もう神様はやろうごとしてこたえんというものを持っておっても、ぱっというて下さらないということ。そこには、ひとつのね、思いかえの稽古をさして下さったり、改まらして下さったり、磨かして下さったり、倒れ転びをしながら、さあもう一歩ここまでという、親心を悟らしてもらうと、それが有り難いことになってくる。ね。
 今朝方、えー、頂きましたことの中に、ね、皆さんがおかげを頂くということはね、おかげを頂く、まあ下さるならば頂くぐらいなこっちゃだめですよ。もう頂くものとしてです、いや、もう頂いたものとしてです、神様は絶対のものとしてです、ね、それを信じてかからなければだめです。ね。だから、信心にはどうでもこうでも頂かねばと言う、この気概がいるです。ね。
 そういう心配り、ちょうどここの石庭のように、じゃなく、ちょうど、まあ言うならあの、竜安寺ですね、京都の、竜安寺の石庭のように、素晴らしい石庭を頂いた。その石の配石というですかね、その配石のその、まあだ、あんな石庭見たことがない。今日、私が御神眼に頂いたように。その配石の、おー、模様を頂くんですよ。ね。石ということは、まあ心と頂かなければならんでしょう。意志が強いと言うでしょう。だから、石は心、いわゆる心配りということに立たにゃいけん。
 例えば、んなら、ここにこれだけ、石が、まあ配石してあります。ね。これがどうでしょうね、これを隅の方にこう、邪魔になるけんちから、転がしとったら、これ。それこそ、こげな邪魔なんとこ誰か持って行ってくれんかっちゅうごとあろうと思う。けれどもそれがちょっとね、その、その道の人が配石してある。ね。どこから見ても、素晴らしいように、ちゃんとその石が配石してあるところにです、ね、これが、石庭として、また、いいなあと思わせるものがある。邪魔になるだけじゃなか、素晴らしいということ。
 この中にはこういう大きな石を持って来て、邪魔になるところじゃなく、それが邪魔んなるどころか、それが素晴らしいものとして、ここで見ることができるようにです、ね、心配り次第では、大変な、ああいう難儀なということがです、こういう神様の御神愛を、と頂けれることになった。配石次第なのだ。自分の心次第なのだ。ね。ですから、そういうです、んなら、そういう道を体得するということが、なるほど、2年3年できるとは思えません。ね。
 ちょっと参ったからできたぐらいなことできる。一遍話を聞いたからで分かるはずがない。ね。そこんところを、例えばおかげを見せびらかしながらです、あとひざリをしておる親の心というものを、ひとつ本気で、本当に分からして頂いたら、それがまた、有り難いもの、楽しいもの、ね。ということになるのです。それでも、私共は、はあ、これほど信心するのにというような時もありますけれども、その熊谷さんのお届けじゃない、ね。
 もう神様から、私はだめ、そげんされるのじゃなかろうかと思うようなことがありますけれども、ね、そこんところをもう一押しというところにです、神としてのおかげが受けられるのです。神になるという、ね、神になるのを私共が、それが神になるのぞと、という、だから今日は、もうほとんどのところをね、これは、おかげを受けて後のことだというふうに頂いて、神より金光大神にいつまでも尽きぬおかげを話にして残しておくと仰る。ね。
 神様がおかげを頂かして下さる、または、事の道理、物の道理をです、ね、っと、分からして下さって、ね、私共はそれがなるほどと分からしてもらう。ね、それを私共が10年も繰り返し続けさして頂きよるとです、「10年と信心が続いたら、我ながらわが心をまつれ」というほどしの、ことに、だんだんならして頂かなければならん。そこにはもう、信心のない人の思い方、信心のある者の思い方、その同じ事柄であっても、その思い方が違う、配石のし具合が違う。だから、信心のある人の上にはそれが素晴らしい石庭であり、信心のない人達の場合は、本当に、こげな大きなじゃなかったかな、それとも、この辺が広々となって、よかろうということになる(笑)。
 邪魔者になる者が、反対にあり難いものになしていくというところにね、私はお道の信心があると思うんですよね。そういう話を尽きぬまでに下さる。こういう話なら、私はまたは、2時間でも3時間でも、言うならできる。私の体験から言うたっちゃ。尽きぬほどの話があります。ね。それを皆さんは毎日こうやって、聞いておられる、頂いておられるわけなんです。それをひとつ、うー、いつまでも金光大神に尽きぬ話を、残しておって下さる。それを、只、話を聞くだけではない。ね、先日の話のように、「金光教」というお知らせを頂いて、いわゆる、こうやって教えを頂いておるが、それがね、やはり、光にならなければならない。「光」の字に。
 それが、いわゆる「金」、これをおかげと、まあ頂くならね、おかげも頂かなければならない、光も頂かなければならない。教えは尚更のこと頂かなければならない、いや、教えが自分の血に肉にならなければだめだと。教えを頂いておるだけではいけんと。合楽ではどうも、その、金光教の「教」の字のね、教えを頂くということだけに、いー、皆が、はあ有り難い、有り難いと言うておるような気がする。おかげを受けて有り難い。お徳を受けて、光を受けて有り難いという信心に進まなきゃならんと思うですね。どうぞ。